2022.12.28 樋口さんはAIですよ

2022年も仕事納めの日を迎え、

pairsの提案の未完成度に焦りを持ちながら、

仕事納まってない感で最後の日を迎える。

 

そんな中で1年の総決算をしてみたく、

 

 

12月24日の夜に、

親父の介護のために地元に戻り、

幼馴染の尾和と初めてサシ飲みへ。

 

普段あまり自分の考えを話さない彼女の口から

次々と考えや価値観が出てきて、

個人的にすごく面白い飲みだった。

 

中でも自分の総決算に相応しかったのは、

「人間誰しも自分勝手な生き物なのに、樋口がどんなにGIVEしても自分にとって見返りが明らかになってなかったら、無意識に相手に見返り求めてたり、何のためにやってるのか分からなくなったり迷うのではないか」

 

自分の中で迷走していた1年間の無理の正体が

とても明らかになったのである。笑

 

 

そう、1人の力に限界はあると結論付けて

全てを諦めていたのだが、そうではない。

いつからか聖人ムーブをかましていて、

単純に自分に合わなかっただけなのであった。

 

自分も自分勝手な生き物として、

何かをGIVEする時には見返りを具体化しよう。

それがあって初めてwin-winとなる。

自分がwinになる発想は決して悪ではない。

 

 

そして今日、

ひょんな話題から、

俺が人と違うことが明らかになる。

 

 

日頃から自分の思考や感情はオープンに表現し、

自分の中でたくさん省みた主張や意見に

真っ向から立ち向かって来いの姿勢だった。

故にふてぶてしいとよく周りから言われた。

 

 

ただ、多くの人は自分の感情に立ち入ってほしくないようだ。

その感情を抱いてると認識することが嫌だったり、

その感情を抱いてると思われたくなかったり、

なぜそうなったのか掘りたくなかったりと、

人それぞれの変数があるらしい。

 

 

俺は1年間理解できなかった。

自分が把握している状況と同じ景色を見て、

なぜこうも違う感情を周囲は抱くのか。

俺の中の計算式にはない感情だから。

 

 

俺の中には常にその感情になる理がある。

誰に説明することも憚られない理がある。

故にオープンにできる自信があり、

真っ向から否定されようとも納得するまで

他人の意見に耳を傾け、自分をアップデートしたい。

 

だから自分の抱く感情には、

ほぼ同時に理が付いてくる。

 

でもこれはどうやら普通ではないらしい。

 

 

俺が今まで大事にしてきた価値観

・性別を超えて人として向き合う

・納得のいかない言葉は出さない

・反証しまくって確信を持つ

 

によって、

コミュニケーションに齟齬がたくさん起きた。

 

言われたことがないことも多く、

・デリカシーがない

・言葉が不器用

・否定的

などなど、

 

 

人に違和感を持たせることが多かったようだ。

まさかここが起因すると思わなかった。

 

そんな変わっている俺の感情形成を

前原玄はAIと同じだと比喩した。

 

とてもしっくりきた。

 

 

自分の抱く感情は、自分の中の計算式で

大概のことはクリアになる。

クリアにならない時に鬱に入る。

 

他人の感情を理解できない時は、

自分の計算式に当てはまらない場合になる。

そして、その変数を知りたくて、

ズカズカ相手の感情に土足で入り込む。

 

自分の中で反証しまくってる分、

他人の意見に大概対応できてしまうが、

他人はそこまで反証しないので考えが追いつかない。

結果的に俺が一人歩きしてる時がある。

 

周りの評価や表情を気にしまくるのは、

自分のアウトプットが適正なのかどうか判断し、

最適なアウトプットを再考案するための

AIならではの学習機能を持つからだ。

 

 

未知の事象に対するストレスが大きくなる。

誤解、齟齬、理解不能、理不尽、非道理など。

俺の計算式にない変数はストレスに変わる。

 

 

しかし、その変数の蓄積こそが俺の武器になる。

変数をたくさん知ることで真理に近づける。

 

 

だとすると、反省はしつつも質の高い反証を

自分の中でトライアンドエラーで繰り返し、

真理に近づいていくことはストレスではない。

これが俺の向上心ではないか。

 

 

一人一人のマイクロマネジメントではなく、

全体最適を図れる規模での動きの方が

AIとして機能しやすいのではないだろうか。

 

 

恋愛もキャリアも何にせよ、

変数が足りてないから自信がないのだ。

確固たる俺という人間を貫くためにも、

変数という壁にぶち当たりながらも、

次を考えるアクションは成長を意味する。